ストレス
今日はどうも馬の合わない人といろいろ話すことがあったので、イライラしました。彼と話すと大抵こうなります。ただ、そういうストレスのはけ口としてブログを書きたいのではないんです。
いま世間を騒がせている、秋葉原の無差別殺人についてちょっと書きたいなと。
犯人は、世の中がいやになったと言います。
生きていると、ストレスがたまることなんて、よくありますよね。どうしても好きになれない人と会わなきゃいけないときも、不合理なことがあっても泣き寝入りするしかないときだってあります。
重要なのはそのストレスとどうやって付き合っていくかだと思うんですよね。
今日の俺は帰りにビールを買ってスッキリさせました。もちろん酒を飲むぐらいで納まるような怒りを超越するケースもあるでしょう。ただ、ちょっとでも和らげれば、殺人しようとまでは思わないかも知れない。
今回の事件の犯人は数日前に携帯電話の掲示板に犯行予告をしたそうです。常にストレスがたまりつつも、ずっと発散できずにいたのではないでしょうか?
話を少し広げます。
最近、若者の殺人に対する、世間の目というか、メディアが作り出した構図というのは同じようなパターンが多いですよね。自論ではありますが、
アニメやゲームに夢中な、世間でオタクと呼ばれる人、引きこもりなどの人は、常に自分の世界にいる。
彼らは少しでも自分の思い通りに行かないとキレやすい。
アニメやゲームで殺人というものに慣れてしまっている。
結果、彼らは殺人する。
そんな構図ですかね。ここからはさらに推測が強くなるんですが、完全にオタクな方という人々は、殺人を犯さないのでは?と最近思います。
秋葉原の事件を経て言及した、ストレスとの付き合い方、オタクの人々はこれに関しては相当長けていると思うんです。自分の世界に浸るほど、没頭できるものがあるわけですから。
オタクでありつつも、自分の世界に入りきれない、そういった人のほうが事件を起こしやすいのでは?
オタクでありつつ、どこか入りきれない、そんな自分に満足がいっていない。そういった人が社会への不満を発散しきれずに爆発してしまう。
オタクに殺人者が多いとかそういったことを意図したつもりはないんで、注意してください。あくまでも完全なオタクとそうでない場合を比較しただけです。
どうなんでしょうか?この仮説もかなり短絡的で、殺人というのは複数の動機が複雑に絡んで生み出されるものだと思いますが、動機の一つだと思います。
最後に今回の事件で被害に会われた方には、謹んで哀悼の意を表します。