英語を使えないと、世界に取り残される

今、『ウェブ進化論』で有名な梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』を読んでます。(感想はまたあとで)
ネットはその本質のパブリック、オープン、フリーという性質ゆえ、個の力を強める。この力とはいろいろなものが考えられるが、ここで梅田さんが取り上げていた、学習という面をとりあげてみる。

ネットにより、学習は高速化され、誰しも一定のレベルまでは、ネット以前は考えられないスピードで習得できるようになった。ネットはパブリック、オープン、フリーゆえ、誰もがその恩恵を受けられる。
しかし、そう簡単でない、現存のネットは大多数が英語。数で考えなくても、最新の論文などが英語で発表されることを考えれば、ネットにおいて英語がプレゼンスを閉めているのはあきらかだ。

誰しもがネットによって一定のレベルまで、学習を高速で進行し、勝負はそれから、という時代であるのに、英語が使えなければ、その一定のレベルまでも到達できない。つまり、英語リテラシーのない人は、スタート地点にも立てないということだ。

これは梅田さんも『ウェブ時代をゆく』の中で、一定の危惧は示していたが、俺は梅田さんの警鐘の程度以上の怖さを感じた。

『フラット化する社会』でも、ネットなどの力により、世界はフラット化する、という趣旨のものが書かれていたが、その波に乗るには英語が必要なのではないか。

このままだと、英語が使えない多くの日本人は、フラット化した世界を一段下から見上げることになるのだろう。